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翌46年4月には、役場産業課に正式に「類人猿係」が設置された。
秋以降、再び町内で目撃が相次ぐようになる。週刊誌や児童雑誌で大々的に特集されたり、テレビで特別番組が放送されたりと西城町の名は「比婆山の怪物」とともにメディアに乗り日本中を駆け巡った。イベントでは「怪獣おどり」が披露され、おみやげに人形やお菓子が売り出されるなど、このころから次第に町おこしに活用され始める。
49年にかけては、近隣市町でも次々と目撃されるようになり、庄原市濁川町ではついに写真撮影に成功。そのころには「ヒバゴン」という愛称がすっかり定着し、連日、新聞の見出しに踊るようになっていた。
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