←準備段階から制作部スタッフとともに、ロケ場所、お金、人などあらゆることの調整を担当。何事にも全力投球の彼なくしてはロケは成功しなかったかも。
 その後も、残務のかたわら、ヒナゴン観光振興プロジェクトの設立に力を注ぎ、数々の事業の仕掛人として活躍。合併と同時に本庁へ異動したため、プロジェクトから離れたが今も庄原の地で「ヒナゴン」を暖かく見守ってくれているはず。
 このホームページを立ち上げたいわば生みの父。しかし、撮影に突入するとそれどころではなくほとんど庁舎に居ない毎日が続く。そのため、ホームページは002の手に委ねられる。しかし、今回「ヒバゴン」ページを担当し、見事復活!
 映画以前から「ヒバゴン」のデザイナーとして数々の仕事をこなして来た。撮影中は主にエキストラさんの調整を担当し、スタッフルームと現場を奔走。その後も、デザイン&渉外担当として活躍し、数々のテレビ出演でその姿はもうおなじみ?!
 NPO法人「ヒバゴンの知恵袋」の理事長というもう一つの顔も持つ、永遠の少年。→
←撮影直前に急遽このページを任された育ての母。当時、町の広報担当だったものの、ホームページは全くの素人。しかも激しい人見知りと育児休業明け直後のため、なかなか現場の雰囲気になじめず苦戦。大応援団の担当にもかかわらず、子役さんをはじめたくさんの方に応援をいただいてどうにか今日に至る。
 ヒバゴン騒動の最中に生まれたはずだが、自身のカウンタは23歳で停止中。ちなみに000とは同級生。
 撮影中は、全ての現場を飛び回り、写真撮影を担当した陰の功労者。極めて物静かだが、その観察力と注意力により上記3人が助けられたこと数知れず。
 また、「ヒナゴン西城町ロケ地マップ」をはじめとしたプロジェクト事業のデザインは氏の手によるものである。→